森林関係人口を軸にした地域づくり -「樵木林業」と薪炭産業の復興を通じて -[吉田基晴]

パソナが大手町から淡路島に本社を移転、というニュースが騒がれましたが、
それより何年も前に本社を神楽坂から徳島県へ移転、メディアでも注目され、それに続けと次々とサテライトオフィスが徳島県でオープンしていることをご存じでしょうか。
その仕掛け人こそ、サイファー・テック株式会社、株式会社あわえ、そして株式会社四国の右下木の会社の代表取締役である吉田社長です。
※吉田社長には知活人を応援していただいています。


アフターコ○ナに来ると言われている時代を10年も前に先取した吉田社長の取り組みが「森林技術」6月号に掲載されました。
その記事の転載許可を頂きましたのでここに紹介させていただきます。

地方、そして森林に関わる理由

東京でITセキュリティ企業を経営していた私は、企業ひしめく東京での慢性的な採用難という経営課題の解決を目的に、2012年、過疎化が進む人口6,000人足らずの古里、徳島県美波町にサテライトオフィスを設立しました。
サーフィンや釣りなど、アウトドアアクティビティのメッ力である美波町を舞台に、生業と個人の趣味「X」を両立させる生き方「半X半IT」という ワークスタイルを提唱したところ、都市部からたくさんの転職者が集まってくれました。
出勤前にサーフィン を楽しむ若者や、消防団活動などの地域活動に汗する若者が町で見られるようになったのです。
こうしてIT企業の過疎地域進出と移住者が増え地域がにぎわいを取り戻す現象は、多くのメディアから注目を集め、2019年に劇場公開された地方創生をテーマにした映画 『波乗りオフィスへようこそ』のモデルにもなりました。
私は、この経験を通じて、地方は都市型IT企業の経営課題解決や、手触りある生き方を志向する若者の受け皿になれる力を有している一方で、少子高齢化による自然人口減と若者流出による社会人口減という急速な地域減退に端いでいる様を垣間見ました。
そして、地方の力の再興こそがこの国には必要不可欠であることを認識し、地域や行政と連携して地域づくりを推進する株式会社あわえを設立しました。
あわえでは、ベンチャー企業の地方誘致や起業・創業の促進、また、都市部の児童・生徒が地方の小中学校へ期間転校可能な多地域就学制度「デュアルスクール」などの事業により地域振興を進めています。
設立から9年、20社を超えるサテライトオ フィスの集積が美波町で見られるだけでなく、その数300に迫る全国の自治体をビジネスとして支援してきた結果、令和3年度ふるさとづくり大賞では、 総務大臣表彰を受けるに至りました。
私が考える地方創生の肝は、地域資源の徹底的な活用です。
ここでいう「資源」とは、自然や景観、歴史や文化、豊富な一次産品だけに留まりません。
人の世の課題解決こそがビジネスの根源であり、人口減少などの社会変化に伴い生じた社会課題も第一級のビジネス資源と言えます。
森林に置き換えて考えるなら、立木が資源であると同時に、担い手不足や森林の放置・荒廃、という社会課題もビジネス資源なのです。
豊富な森林資源と山積する森林に関連する課題が、次なるビジネスや成長を産み出す「宝の山」となる、そして、国土の80%を森林が占め、中山間地域が多い日本においては、森林価値の再構築が地方創生に繋がると考え、創業したのが株式会社四国の右下木の会社です。

樵木林業と薪炭産業の栄枯

太平洋に面し「四国の右下」とも呼ばれる徳島県南部に位置する美波町では、ウバメガシが「町の木」であることが示すように、ウバメガシや力シなどの常緑照葉樹林が広がっています。
この照葉樹を原料とした薪炭は、江戸時代から関西に出荷され、大正期の美波町農家の収入源の7割が薪炭だったという 記録も残されており、江戸時代から昭和初期までは 地域の根幹とも言える存在でした。
事実、日和佐八幡神社秋季例大祭にて、50人の男たちが担いで太平洋に勇壮に飛び込む太鼓屋台「ちょうさ」は、江戸時代、薪炭産業でもたらされた富により、関西との交易を通じて大阪からやってきたと言われています。
このように当地の経済や文化を形づくってきたのが「樵木(こりき)林業」だったのです。
一般社団法人日本森林学会により2017年度「林業遺産」にも選定された樵木林業の特徴は、林中に魚骨状に設けた搬出路、流路延長が短い河川を利用した「管流し」と呼ばれる輸送技法、そして「択伐倭林(わいりん)更新法」と呼ばれる伐採・育林技法に代表されます。
択伐倭林更新法は、照葉樹の萌芽更新力を徹底的に活かし、胸高直径が一寸(約3cm)以上の適正林木のみを選択的に伐採することで8-12年の短周期収穫を可能とした、照葉樹の促成栽培とも呼べる技法です。
択伐と萌芽を繰り返すことで木は常に若木の状態を維持するため、虫害耐性が高く、同一株から100年、200年と長期にわたり収穫ができます。
同時にこの技法により樹木は背の低い「倭林」状態が保たれ、台風常襲地に適した風害耐性のある森林となり、防災にも寄与します。
この地の先人たちが、 高い生産性と環境保全性を両立した循環型の施業方法を江戸時代にはすでに確立していたこと、そして大正時代には樵木の薪炭が他所の商品よりもはるかに高額で取引されていたという、いわゆるブランド化にも成功していた事実に私は驚きを隠せません。
ところが、その後の燃料革命と生活様式の変化に伴い、地域の薪炭産業も樵木林業も衰退の一途をたどり、現在、美波町では薪炭産業は完全に途絶え、樵木林業の担い手も壊滅に近い状態にあります。

日和佐港から関西に出荷される薪
ちょうさを担ぎ海に飛び込む

樵木林業の衰退がもたらしたもの

森林面積89%、人工林比率が低く照葉樹林の多い美波町においては、薪炭産業の衰退は林業の衰退に直結し、中山間集落での急激な人口減省の大きな要因になったものと考えられます。
また、樵木林業による択伐倭林更新林もその循環を止めてしまい、大径化が進み、台風常襲地ゆえの風害倒木や土砂崩れ、力シノナガキクイムシに起因する、いわゆるナラ枯 れも見られるようになってきました。
また、心ない盗伐や乱伐も増えつつあります。

木の会社の創業

森林、そして江戸時代からの歴史ある林業技法、山積する森林課題をビジネス資源と捉えた私は、高知県にて備長炭づくりを営む製炭士や森林に興味を持つ移住者たちと共に、株式会社四国の右下木の会社を創業しました。
木の会社の理念は、次のとおりです。
●循環しないものは、成り立たない →先人たちが確立させた「樵木林業」の思想を背骨に、環境と人の持続可能な関係を構築します。
●適地適材・ 適材適所 →その地に適した樹種の禾1」活用を第一にし、古く から伝わる適所を磨き、時代に即した新たな適 所を創ります。
●一気通貫 →森林づくりから製造、マーケツトデリバリーま でを責任を持って行います。
この理念のもとで樵木林業を復興させ、まずはウバメガシを用いた 「樵木備長炭」 とカシなどを用いた「椎木薪」の製造販売に着手しています。

当社のメンバーたちはほとんどが移住者 – コピー
橋本林業様からご指導いただき、いちから作り上げた作業道

樵木林業の復興

樵木林業の択伐矮林更新法によりつくられた照葉樹林は、高い生産性を持ち、災害抑制や環境保全にも寄与します。
樵木林業はこの地に最適化された施業方法ですが、照葉樹需要の壊滅的減少のために衰退し、従事者もほとんどいない状態となっています。
環境保全やカーボンニュートラル社会に向けた森林の重要性が語られ、森林環境譲与税などが森林管理予算として投入される時代ではあっても、いわゆる天然林への優先度は低いのが実態で、 放置林ばかりが広がっています。
照葉樹林が健全な状態を保つためには定期的な施業が必要となりますが、 木材需要をベースにした経済的動機なくしては人の手は入りません。
そこで当社は、 令和3年に徳島県と地元市町村 1市3町と共に 「とくしま樵木林業推進協議会」を設立し、官民連携で照葉樹活用産業の振興を核にした樵木林業再興の取組をスタートさせました。
薪炭製造を通じて産業化を推進するのはもちろんのこと、照葉樹の有効資源量の調査や、数十年にわたる放置で択伐更新循環が止まった状態の森林をいかに更新林に戻していくかの実地検証記録化、 施業マニュアルづくりなどを当社が担っています。

山づくり

樵木林業では10年程度の短周期で同一林の伐採が可能になるため、作業道の良否が生産性に大きく影響します。
乾燥した土壌を好むウバメガシは海岸線の岩肌や山頂尾根筋に群生するため、地形は険しく、また、台風が常襲する多雨地帯ということを鑑み、強靭な路網が求められます。
そこで、お隣の那賀町にて自伐型林はしもとみつ業を営む作業道づくりの大家である橋本林業の橋本光治氏(内閣総理大臣賞や旭日単光章も受賞された林業家) に指導を仰ぎ道づくりを進めています。

備長炭づくり

徳島県では途絶えて久しい白炭商業生産の数十年ぶりの復活となります。
国産備長炭は世界で最も高性能で高価な木炭と言われています。
原料となるウバメガシは西日本太平洋岸のみに分布し、残念ながら資源枯渇が進んでいます。
当地の豊富なウバメガシは天然林商業利用の最有力となる重要な資源です。
私たちは備長炭を 「高機能調理器具」と定義しています。
例えば、徳島県なら伊勢海老、阿波尾鶏、椎茸など、四季折々の旬の食材に恵まれますが、その旨味をシンプルかつ最大限に引き出す調理器具が備長炭だと考えているのです。
その需要先は自然と飲食店が中心となり、 飲食店にとって燃料は営業の要であるため、良質なものを求められるのは当然であるうえに、常時安定供給が必要となります。
当社では国内最高品質を目指し、備長炭発祥の和歌山県や、生産量日本一の高知県など、各地の製炭技法研究に加え、製炭士固有のノウハウも取り入れた製炭を行うだけでなく、安定的に生産できるよう、ICTを用いたスマート製炭にも取り組んでいます。
窯に設置した熱センサーから取得される5分間隔の温度データはクラウド上でグラフとして表示され、想定外の状態変化はスマートフォンなどを通じてアラートされることで、製炭士は窯の温度変化をリアルタイムで把握できるようになりました。
現在、新設計の炭窯を建設中で、今秋からは本格的な製炭をスタートする予定になっています。

樵木備長炭の窯出し作業

薪づくり

薪ストーブや暖炉などの利用者増加や、昨今のアウトドアキャンプブームなどもあり、薪の需要は高まりを見せています。
カシ材を用いた薪は燃焼時間も長く、高品質な薪として人気があり、カシが多産される当地では有力な商品となります。
加えて、そもそも私が森林や樵木林業に興味を持つきっかけは、自宅に薪ストーブを設置し、趣味で薪づくりを始めたことにあり、薪は当社にとっても重要な商品となっています。
当社では樵木林業で育林伐採したカシを主原木に、良質な薪の製造販売を進めています。
実は、乾燥させるために割ったカシ原木にカシノナガキクイムシの穿孔が見られることがあり、大径のカシほどその頻度が高まります。
カシノナガキクイムシは樹径が10cmを超えると繁殖が活発化し、大径木となるほど枯死の可能性が高まると言われているので、消費者の皆様に、「穿孔がある薪を用いることは、結果的に樹木の大径化を抑制し、森林の若返りに貢献する」ということを伝えていくのも当社の役割だと考えています。

さいごに ~地域づくりへの貢献~

わが国の熱源が木質燃料だった時代、森林はエネルギー庫であり、社会の中心でした。
ところが、その後の燃料革命などに起因する森林の価値低下が地方衰退の一因になったことは疑いの余地がありません。
当社のゴールは林業でも薪炭業でもありません。
森林や森林から産み出される生産物に時代に沿った新たな価値付けをし、森林に社会性や公共性だけでなく、高い経済価値があることを証明し、これら経済的動機も背景に森林に関係 関与する人、すなわち「森林関係人口」を増やすことで、森林国家日本の持続的発展に繋げていく所存です。

吉田基晴
株式会社四国の右下木の会社 代表取締役